遠山信和(委員長)・長井正人(書記)・持田浩次(会計)・雨宮昌夫(事業会計)・高瀬一夫・白津景蔵・吉田実・末木宏昌
「執事活動の出発点としての礼拝」
遠山信和
クリスマスの出来事を見てもわかるように、神の御子・イエスキリストは、低いところまで降りてくださり、「僕」となられ、私たちの苦しみや痛みを負うものとして歩まれました。主イエスにおいて、仕えることと愛することとはひとつのことであり、その仕える愛は、「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」と言われた愛に他なりません。
そして、この愛に生きることは、主イエスが父なる神との交わりを最も大切なものとなさったように、私たちも、主との交わりを最も大切なものとする処から生まれてくるものです。
神の愛、キリストの愛に駆り立てられ、押し出された私たちは、どこか遠くに出て行ってしまうというのではありません。まず、神の御前に帰るのです。神をほめたたえる礼拝をするのです。礼拝は、神の奉仕であるとも言われます。礼拝において、み言葉の説教と聖餐を通して、
私たちは、父なる神が私たちのために何をしてくださったかを繰り返し繰り返し教えられ新しく思い起こすのです。
礼拝において、キリストが私たちのために愛の奉仕をしてくださり、恵みを満たし、私たちを新たにしてくださいます。そして私たちは、神を讃美し、神に感謝を捧げる礼拝、すなわち神に仕え、神を愛するのです。それが、私たちのなすべき
第一の愛の業です。その礼拝から、隣人に仕え、隣人を愛する歩みへと遣わされて行くのです。愛の共同体は、まず神を拝む礼拝共同体として自覚されていくのです。